toremorの旅手帳

鉄道と旅行と温泉と。大学生の放浪の様子をご覧ください。

甲信地域最大の貨物ターミナル、南松本駅を観察

意外と規模の大きい貨物駅

f:id:toremor:20200820131428j:plain

7:31、EF64国鉄色の重連が牽引する四日市行きの定期貨物列車が南松本駅を出発する。

松本駅から塩尻方面へ一駅南下、南松本駅は甲信地区最大の貨物ターミナルとなっています。

主に石油輸送と一部コンテナ輸送が行われていますが、関東方面や名古屋方面、四日市駅との間で、合わせて一日10往復程度(?)の定期列車の運行があります。

 

長野県の石油輸送は、古いデータですが8割が貨物のシェアなんだとか。

(なるほどガソリンが高いわけだ…)

 

また、中央線名物EF64重連の貨物列車も当駅では多く見られます。

が、筆者はあまり貨物について詳しくはないのと、撮る方は初心者なので今回はざっくり、雰囲気だけでもお楽しみいただければと……

 

 

南松本駅は石油の輸送量が多い

f:id:toremor:20200820140350j:plain

今でこそ甲信地区最大の貨物ターミナルとなった南松本駅ですが、もともと戦時中に軍需工場の輸送駅として開業しました。

 

そもそも車扱(専用の貨車を使って1両単位で貸切って輸送する方法:現在では石油などの輸送がこれにあたる)の駅として開業したため、コンテナを扱うエリアでは近年まで改良工事が重ねられていました。

 

1970年には17本の専用線が発着していましたが、現在はわずかとなりました。

しかし2003年には交通新聞社の貨物取扱量、「車扱い」で全国5位にランクイン。

現在も石油の輸送が盛んです。

 

本線の西側に1本、篠ノ井線に平行する形で公共線が伸びており、そこからジャパンオイルネットワーク、日本オイルターミナルへ至る専用線が分岐、現在でも使用されています。

 

 

以前は岡谷酸素や太平洋セメント、タケヤみその専用線などで2000年代までは発着があったようですが、現在は廃止されています。

 

跨線橋からターミナルを俯瞰

f:id:toremor:20200820140753j:plain

南松本駅を俯瞰。写真右手奥がコンテナのターミナルとなっている。

南松本駅南方の跨線橋にやってきました。

この位置からですとやや貨物ターミナルを俯瞰できます。

写真右奥にコンテナホームがあり、2面2線の構造です。

 

もう少し本線の近くまで移動します。

南北に長く、規模も意外と大きい…

f:id:toremor:20200820142431j:plain

跨線橋より北側(松本方面)をのぞむ。

跨線橋より南側をのぞむと、一番右手(西側)に一本線路が伸びていることが分かります。

これが公共線で、日本オイルターミナル松本営業所などへ延びる専用線へとつながっています。

f:id:toremor:20200820142413j:plain

跨線橋より南側(塩尻方面)をのぞむ。

因みにこの跨線橋の下には宮田前踏切という踏切があるのですが、貨物の入れ替え作業をするたびにこの踏切を閉じなければならないので、地元では「開かずの踏切」として有名です。

 

こんなところにもあったのか…開かずの踏切…

f:id:toremor:20200820152219j:plain

宮田前踏切。踏切両サイドに交差点があるため、危険でもある。アンダーパスを通す計画がある。

北側にはコンテナのターミナルが存在

駅の北東側ではコンテナの取扱をしています。

f:id:toremor:20200820144839j:plain

南松本駅北東側ではコンテナがきれいに並ぶ。

こちらは規模が小さいですが近年も改良が加えられ、まだまだ現役です。

遠くに篠ノ井線の本線が見えます。

朝の時間は頻繁に行き交いますが、塩尻―松本間は地方には珍しい「黒字路線」です。

f:id:toremor:20200820145339j:plain

コンテナのターミナルから南側をのぞむ。

留置されているのは中央本線の貨物の主力車両、EF64EH200です。

f:id:toremor:20200820145640j:plain

 

専用線の跡を探る

f:id:toremor:20200820161850p:plain

1973年の航空写真と現在の位置関係。

専用線は駅の南側に広がっていましたが、一部は北側にも伸びていました。

まずは旅客駅の南松本駅付近を観察。

ちょうど、四日市へ向かう貨物列車が出ていきました。

f:id:toremor:20200820143136j:plain

西側にある旅客駅は1面2線のシンプルな駅ですが、近年宅地開発の影響か利用者数は増加傾向にあります。

f:id:toremor:20200820142139j:plain

旅客駅は一番西側に存在する。1面2線。

駅の正面へ回ります。

こちらもシンプルな造りです。

f:id:toremor:20200820143258j:plain

南松本駅の駅舎。

駅の裏側にはこちらにもEF64が重連で止まっています。

f:id:toremor:20200820151130j:plain

 さて、南松本駅から北に進むと、何やら怪しい線路跡が…

f:id:toremor:20200820143510j:plain

本線から分岐し道路を渡る廃線跡。

振り返った先はなんと…

ラーメン屋……

f:id:toremor:20200820143641j:plain

ラーメン屋へ続く廃線跡。

これは「ラーメン屋に小麦を運ぶ専用線」ではなく、日穀製粉へと延びる専用線の跡です。

google mapで俯瞰しても、弧を描く線路跡がなんとなく追えますよね~

 

ちょうど東京インテリアの南をかすめて、左上へ専用線は続いていました。

1997年あたりまで使われていたらしいです。

 

先ほどの空中写真

を見るとラーメン屋の奥で分岐していたことが分かります。

 

そして今度は跨線橋のあたりまで戻ります。

f:id:toremor:20200820152650j:plain

f:id:toremor:20200820152645j:plain

跨線橋西端から北(上の写真)と南(下の写真)を見る。このあたりも専用線があったのだろうか。

さてもう少し南側へ進むと変わった形の踏切があります。

f:id:toremor:20200820153002j:plain

手前には遮断器のない踏切があるが、奥には遮断器のある踏切がある。

お…これは…

おそらくかつてここに縦に踏切が2つ並んでいて、手前側が廃止されたもののようです。

この廃線らしきところを覗いてみると…

f:id:toremor:20200820153419j:plain

f:id:toremor:20200820153410j:plain

デンカセメントの専用線だったと思われる路線。廃線となっている。

 これは推測ですが、おそらく上り線側から分岐しているようです。

状態はほぼそのまま残っています。

 

少し北側(南松本駅側)へ向かい、南部公園という公園から南方をのぞむと…

f:id:toremor:20200820154109j:plain

一番左奥が先ほどの専用線跡。分岐線をさらに分岐してデンカセメントの専用線に入る。

南松本駅に近いほど線路の状態は良さそうです…

そして駅側に進むと架線も張られていて、こちらは現役のよう。

f:id:toremor:20200820154549j:plain

架線も張られ、整備もされている。

奥には構内入換用(貨車を切り離して移動させるときに使用する)機関車として活躍するHD300も止まっています。

f:id:toremor:20200820164532j:plain

入換用機関車HD300.

先ほどから見ている専用線跡、改めてgoogle mapでみても、良く分かります。

 

 

まとめ

f:id:toremor:20200820164032j:plain

通勤時間帯は長野地区の313系も4両編成。

甲信地域最大の貨物ターミナル、南松本駅。

 

かつては専用線が張り巡らされていたようですが、現在では多くの場所が商業施設や宅地開発で消えてしまいました。

しかし部分的に取り残されている一角もあり、往年の活躍を垣間見ることができます。

 

ただ、かつて車扱駅として栄えた南松本駅だからこそ、現在の形で存続できているのかもしれません。

1970年代に比べれば賑わいは失っているかもしれませんが、現在でも当駅を通る貨物による石油輸送が長野県の大きなシェアを占めています。

 

今後も時代に適合したターミナルとして生き残ってほしいですね~

 

あと、南松本駅前のイイダヤ軒の駅そば、美味しいので是非ご賞味あれ~

f:id:toremor:20200820163752j:plain

南松本駅前イイダヤ軒「冷やしおろしそば(470円)」。出汁が効いていて夏場でも喉を通りやすい。

 

【8/11運転再開】木曽の山奥に鉄道網?赤沢森林鉄道に乗車

木曽の谷には真木茂り…

f:id:toremor:20200814213506j:plain

木曽の山奥を走る赤沢森林鉄道。

「木曽路はすべて山の中にある」と言われますが、かつてその山の奥地に鉄道網が敷かれていました。

 

長野県木曽地域は林業で栄えた地域です。

張り巡らされた路線は森林鉄道と呼ばれ、切り出した木材を中央西線の駅まで運ぶ目的で建設されました。

 

見づらいですが、1951年の地図を見てみます。

下の画面上部にある川に沿って何やら太い線と枝分かれする実線があります。

f:id:toremor:20200814223621p:plain

上松の地形図。画面上部に太い線が描かれているが、これは上松駅から分岐する木曽森林鉄道の路線。

そのような線がいたるところにありますが、これはすべて森林鉄道だったのです。

現在では森林鉄道のほんの一部が観光路線として残っています。

今回は、豪雨災害や感染症の影響で長らく運休していた観光用の「赤沢森林鉄道」が再開したので、ご紹介いたします。

 

 

トロッコ列車で森林浴を楽しむ

f:id:toremor:20200814213602j:plain

森林鉄道が走る地は、長野県上松駅から車で30分(かなり山奥!)、赤沢自然休養林の中にあります。

木曽森林鉄道赤沢線の廃線跡を利用して、観光用のトロッコ列車が走っています。

 

林野庁が森林セラピー基地に指定した赤沢自然休養林は、観光客だけではなく文字通りセラピーに来る人もいます。

 

森林セラピー、意外にも科学的根拠に基づいたちゃんとした領域のようで、全国大会の第一回もこの赤沢自然休養林で行われたのだとか。

道中にも研究施設などがあり、森林セラピー分野の先駆け的な存在なのかもしれません。

 

話をもとに戻しまして、駐車場から少し登ったところに森林鉄道の入口があります。

f:id:toremor:20200814195712j:plain

赤沢森林鉄道が発着する駅。

走行ルートは片道約1kmの往復コース。

アトラクションのようにチケットを購入して、出発を待ちます。

 

往復900円、折り返し地点からの乗車はできず、往復のみの販売です。

チケットは木製のコースターサイズで、持ち帰ることができます。

f:id:toremor:20200814213710j:plain

こちらが乗車券。

訪れた8/11は繁忙期のようで30分間隔で往復しているので、そこまで待ち時間は長くありません。

乗車駅には森林鉄道現役時代の蒸気機関車(静態保存)や、他のディーゼル機関車が留置されています。

f:id:toremor:20200814195728j:plain

留置されている機関車。

観光向けに整備されているので、現役のころの簡易軌道のように「命の保証は致しません」と告げられることもなく、ワクワクとした気分で乗車。

 

訪れた際はあまり運転再開初日ということもあり、そこまで認知されていなかったからなのかガラガラ…

「密だったら撤退しよう」と思っていましたが杞憂だったようです。

 

機関車1両、客車5両の編成で客車一人につき1名の乗務員が乗車しています。豪華!

客車は木曽五木と呼ばれる周辺でとれる木の名前が書かれています。

f:id:toremor:20200814195746j:plain

f:id:toremor:20200814214009j:plain

赤沢森林鉄道の客車。トロッコ列車感覚で乗車できる。

線路は幅762mmのナローゲージ。

軽便鉄道などで見られた特殊狭軌線です。 

f:id:toremor:20200814214201j:plain

座席は2+1の転換クロスシート。

折り返し駅で進行方向が変わるからでしょうか、手で座席の背もたれ部分を倒すことができます。 

f:id:toremor:20200814214301j:plain

座席は転換クロスシート。

せっかくなので機関車の排気を嗅ぎたい筆者は一番先頭へ。

森林セラピーで新鮮な空気を吸いたい方は一番後方をおすすめします。

f:id:toremor:20200814195734j:plain

f:id:toremor:20200814195740j:plain

客車の先頭へ…

機関車は小型ですがディーゼルエンジンのようです。

運転台は横向き、スイッチャーのような形。

機関車に牽引されて出発、森林を縫うように走ります。

f:id:toremor:20200814214454j:plain

林の中を縫うように走る。

車窓もなかなかの見ごたえ、さすが森林セラピー基地というだけあります(森林セラピーと言いたいだけかもしれない)。

f:id:toremor:20200814214548j:plain

清流に沿って森林鉄道は走る。

途中で観光用の自動放送が良質なスピーカーから聞こえてきます。

真面目なアトラクションといったところでしょうか。 

折り返し駅では「機回し」も

f:id:toremor:20200814195906j:plain

折り返しとなる丸山渡停車場。左手は機回し線。

10分くらい経過すると、折り返し地点に到着。

ダイヤでは停車時間5分で折り返します。

マニアとしては復路の運転方式が気になるところ。

 

推進運転か!?と思っていましたが、隣の機回し線を駆使して、なんとものの3分で反対側へ機関車を付け替えます。

かなりのスピード芸、職人技を感じ驚きました。

f:id:toremor:20200814195757j:plain

f:id:toremor:20200814195803j:plain

f:id:toremor:20200814195808j:plain

f:id:toremor:20200814215159j:plain

機回しは素早く行われる。

復路は後方展望を楽しみながらまったりと。

気温は30℃いかないくらいでしたが、川沿いで山奥、標高も若干高いので体感的には涼しいです。

あっという間の25分、乗車した駅に戻ってきました。

f:id:toremor:20200814215313j:plain

後方展望も素晴らしい。

駅には待合室があって、これはおそらく森林鉄道現役時代の客車だと思われます。

もちろん内部も入ることができます…かなり狭い。

中山道の宿場町、奈良井宿にもほぼ同形式の客車が展示されています。

f:id:toremor:20200814195706j:plain

f:id:toremor:20200814215442j:plain

待合室は森林鉄道の客車を利用している。

f:id:toremor:20200814215555j:plain

奈良井宿に展示されている森林鉄道の車両。

森林鉄道のユニークな車両も現存

f:id:toremor:20200814215716j:plain

資料館の内部の様子。

森林鉄道の乗車駅の隣には記念館があり、木材を運搬していた当時の写真や標識などが展示されています。

 

こちらは理髪車

洗面台やスチーマーなども客車についていたそうです。

現地で作業されていた方は街に出ることもなく生活していたわけですが、故郷や恋人に会いに行く前にこの理髪車を利用したとかなんとか。

f:id:toremor:20200814195718j:plain

理髪車。

 作業の見回り用の簡易的なモーターカーもあります。

f:id:toremor:20200814220026j:plain

小型のモーターカー。

こちらはなんとお召し車両(?)

昭和32年に皇太子陛下(当時)が上松駅からこの赤沢の地まで、森林鉄道のこの客車で移動したらしい。

f:id:toremor:20200814220157j:plain

貴賓車もそこまで広くはない。

これが最初簡単にお見せした蒸気機関車「ボールドウィン号」です。

アメリカから輸入した機関車で、大正5年から昭和35年まで運行されたものです。

経費削減とやらで、燃料を石炭から木片に変えていた時期があるらしく、煙突に火の粉回収装置がついているのが特徴です。 

f:id:toremor:20200814220320j:plain

蒸気機関車ボールドウィン号。

山中至るところに残る森林鉄道の橋脚

さて、赤沢自然休養林までのアクセス道路沿いの景色を注意してみてみると、あちらこちらで橋脚が残っています。

 

広い場所で車を止めて近づくと、意外と堅牢な石造りの橋脚が見えます。

こんなところに本当に鉄道を通したんですね……

f:id:toremor:20200814220554j:plain

f:id:toremor:20200814220651j:plain

木曽森林鉄道の跡と考えられる橋脚。

 木曽地域の中でも上松駅周辺はもっとも森林鉄道が発達したエリアで、最盛期には総延長400kmを越えていたようです。

この近辺の森林鉄道は1975年あたりの末期まで走っていたので、比較的状態が良く残っているのかもしれません。

まとめ

f:id:toremor:20200814220911j:plain

木曽の林業を支えた産業遺産ともいうべき森林鉄道。

今でも木曽の山奥を縫うように走った面影が残り、また保存もされています。

 

豪雨被害などを乗り越えて先日運転を再開した赤沢森林鉄道は、マニアだけでなく家族連れでも、アトラクションとして楽しめると思います。

 

最近は密かに北海道の簡易軌道をはじめとして、日本の産業を支えたかつての鉄道が注目を集めています。

整備や保存には手間もお金もかかりますが、このような小さな鉄道の痕跡が、改めて文化的な価値の高いものとして日の目を見るのかもしれません。

 

 

 

↓ 鉄道コムに戻る

 鉄道コム

 

 

 

【全席指定】新型SR1系で快適移動、しなの鉄道「軽井沢リゾート3号」乗車記

しなの鉄道SR1系は中古車ではなく完全新造

f:id:toremor:20200809141448j:plain

しなの鉄道に導入されたSR1系。完全な新造車として製造された。

国鉄時代に製造された車両で埋め尽くされていたしなの鉄道。

それを逆手にとって、しなの鉄道は様々な経営戦略を行ってきた会社です。

 

www.toremor.work

 

「3セクの成功例の一つ」として紹介されることも多いですが、ついに2020年に新車「SR1系」を導入し、7月からSR1系で運行される有料の快速列車の運行を開始しました。

 

今回は土休日に運行される「軽井沢リゾート3号」で軽井沢から長野まで向かいます!

 

 

「軽井沢リゾート号」とは?

f:id:toremor:20200809142208j:plain

軽井沢駅に停車中の特別快速「軽井沢リゾート3号」長野行き(左)。115系の初代長野色の普通列車(右)も停車中。

しなの鉄道では7月から、SR1系を使用した座席指定制の有料快速の運行を開始しました。

土休日と平日で設定される列車が異なります。

 

土休日には「軽井沢リゾート号」として軽井沢ー妙高高原(1号・4号)、軽井沢ー長野間(2号・3号)の2パターンが設定されています。

こちらは観光需要を拾うために、上り・下り列車ともに始発駅を9時台、16時台に出発するダイヤになっています。

 

一方平日は、主に長野ー上田間で「しなのサンライズ」「しなのサンセット」として運行しています。

こちらはライナー列車のような側面が強く、朝夕のラッシュ時にダイヤが設定されています。

 

東京の私鉄、京王ライナーに近い位置付けかもしれません…

 

予約の仕方と乗車方法

「軽井沢リゾート号」に乗車するためには座席指定券(500円)を購入する必要があります

発売期間は利用月の1か月前の1日~当日で、WEBサイトのほか、軽井沢、小諸、上田、戸倉、長野の各駅か車内で購入することができます。

 

平日の「しなのサンライズ」「しなのサンセット」では長野駅での発売がなかったり、いろいろと複雑なので、WEB予約をした方が便利かもしれません。

  

WEB予約にはクレジットカードが必要です。

スマートフォンからの場合、しなの鉄道の公式サイトから「SR1しなの鉄道有料快速」のボタンをクリックして…

f:id:toremor:20200809142603p:plain

しなの鉄道の公式サイト(スマホ版)。

【平日】【土休日】の選択と枚数を選択して…

f:id:toremor:20200809142704p:plain

出発駅と到着駅をポチリ…

f:id:toremor:20200809142741p:plain

続いて、「プラン選択」を押して、プランを選択します。

土休日の「軽井沢リゾート号」では軽食プラン(サンドウィッチのようなもの)が設定されていて、このプランを購入する場合は1週間前までに予約する必要があります。(座席のみを利用する場合は当日まで予約できます

f:id:toremor:20200809142855p:plain

シートマップから予約することもできます。これは嬉しい。

f:id:toremor:20200809143011p:plain

f:id:toremor:20200809143031p:plain

シートマップを見ながら予約できる。

あとはクレジットカードの情報を入力して完了です。

当日は、きっぷを受け取る必要はなく、高速バスのようにそのまま乗車すればOK。

 

新車「SR1系」を観察!

f:id:toremor:20200809142057j:plain

湘南色の115系と並ぶSR1系。普通列車としても使用される。

SR1系はJR東日本E129系(通称:ハムエッグ)をベースとして設計されています。

確かに前面も側面も形は同じです。 

f:id:toremor:20200809143457j:plain

SR1系とほぼ同形式のE129系。

外観は青を基調としたデザインで、帯は千曲川の流れをイメージしたものとなっています。結構格好いい~

f:id:toremor:20200809143721j:plain

水色の帯は千曲川をイメージしたもの。

車内に入ります。

一般的には珍しくない押しボタン式のドアですが、しなの鉄道では初導入!

f:id:toremor:20200809144021j:plain

ドアの開閉は押しボタン式。しなの鉄道では初導入。

しなの鉄道の主力車両115系は、最近は換気のために自動でドアが開きますが、基本的に「手で開ける」仕様でした。

 

LEDによる案内表示が千鳥配置されていて、乗務員室の裏には大型の液晶モニターが設置され、沿線の観光案内や車内の注意などが流されています。

f:id:toremor:20200809144623j:plain

ミュージックホーンや「信濃の国」の乗降促進メロディーも搭載されていて、なかなか豪華です。

 

座席はデュアルシートで、有料快速の運用の時はクロスシート、普通の運用の時はロングシートになります。

最近はやりのやつですね~

f:id:toremor:20200809144450j:plain

クロスシートとして配置されているSR1系。

f:id:toremor:20200809144740j:plain

ロングシートとして配置されているSR1系。

窓は意外と眺望がよく、観光列車としても遜色ありません。

紫外線カットガラスでカーテンを省略しているので、日が当たると厳しいかも…

各ブロックの最前列以外に座れば窓からの眺望が楽しめそうです。

f:id:toremor:20200809144954j:plain

床も落ち着いた木目調で、よく見ると壁面も木目調。

優等列車での使用が意識されたデザインなのでしょうか。

f:id:toremor:20200809145128j:plain

f:id:toremor:20200809145100j:plain

床面も壁面も木目調。

クロスシート時のシートピッチは結構広い感じがします。

ただし、構造上の問題で窓側の座席は足元が延ばせず、リクライニング機構もありません。

座面はE129系より少し硬い気がします。

f:id:toremor:20200809145354j:plain

毎度おなじみ短足な筆者が足を延ばした状態。シートピッチは広めだが、窓側の座席に座ると前が当たってしまう。

軽食プランでない普通のシートでは、テーブルはありませんが人数分のコンセント、ドリンクホルダーがついています。

4人グループの場合は向かい合わせにすることもできます。

隣の席との間にひじ掛けはなく、小田急ロマンスカーのシートのような形状です。

f:id:toremor:20200809145610j:plain

人数分のコンセントとドリンクホルダーが設置されている。隣の座席との仕切りとなるひじ掛けは設置されておらず、「ロマンスシート」状態となっている。

f:id:toremor:20200809150838j:plain

軽食プランを選択するとテーブル席に座ることになる。

車内にはフリーWi-Fiが飛んでいて、快適に過ごすことができます。

115系ではついていても利用できなかった、トイレも完備

f:id:toremor:20200809145913j:plain

実際乗ってみますと(普段115系に乗っているときと比較すると)圧倒的に乗り心地が改善されています。当たり前ですけどちょっと感動…

 

「特別快速」軽井沢リゾート3号は元信越本線を快走

有料の快速は自動放送で「特別快速」と案内されます。

「特別快速」の名の通り、停車駅は結構絞られている印象。

 

全線複線、元信越本線であるというだけあって、かなり安定して走行します。

大体80km/hほどで走行し特段飛ばす感じはありませんが、通過駅がたくさんあるので疾走感を楽しめます。

f:id:toremor:20200809150028j:plain

SR1系の運転台。

軽井沢リゾート3号の停車駅は軽井沢を出ると、中軽井沢、上田、戸倉、長野のみです。

軽井沢ー長野間の所要時間は65分、在来線特急「あさま」+15分くらい。

停車駅も「あさま」と似ていますが、小諸駅は通過します。

f:id:toremor:20200809150215j:plain

小海線との接続駅で特急「あさま」の停車駅でもあった小諸駅は通過してしまう。

篠ノ井線との接続駅、篠ノ井駅も有料快速の全列車が通過します。

(出来れば軽井沢リゾート3号が篠ノ井駅に停車してくれると、1本前の特急しなのに乗れるんだけどな~)

 

※軽井沢リゾート号は列車によってだいぶ停車駅が違うので、事前に乗車する列車の停車駅に注意する必要があります。

www.shinanorailway.co.jp

まとめ

f:id:toremor:20200809150924j:plain

手前は今年5周年を迎えた観光列車「ろくもん」。SR1系とともにしなの鉄道の顔と呼べる車両である。

しなの鉄道の新型車両「SR1系」はデュアルシート(ロングシートとクロスシートを転換できる)を装備した快適な車両で、省エネ、低コスト化以外にも乗り心地の面で大幅に改善されました。

 

SR1系を用いた軽井沢リゾート号は、停車駅を絞った特別快速として運行され、元信越本線らしい疾走感を味わうことができます。

 

一マニアからすればまだまだ国鉄時代の車両が残ってほしいですけれど、この新車も完成度の高い車両でこれからが注目です。

f:id:toremor:20200809151018j:plain

しなの鉄道の115系の座席。未更新で残っているものはしなの鉄道においても少ないので、独特の国鉄色の座席に座れるうちに座っておきたい。

 

↓ 鉄道コムに戻る

 鉄道コム

 

 

 

 

 

【駅ビルもあった】中央本線かつてのメインルート、辰野駅を探索

中央本線の「旧メインルート」

f:id:toremor:20200801195825j:plain

東京から塩尻を通って名古屋へ向かう中央線。

 

長野県内の岡谷駅から先はルートが二つに分かれます。

①塩嶺トンネルを抜けみどり湖駅を通り塩尻に向かう新線

 

②辰野駅を通る大八廻り(旧ルート)

 

 

現在では中央本線のほとんどの特急列車、普通列車は①の新ルートで走行します。

今回はかつてのメインルート「大八廻り」の主要駅、辰野駅の魅力をご紹介。

 

 

「大八廻り」の特急停車駅、辰野駅

f:id:toremor:20200801195843j:plain

大八廻りは「だいはちまわり」と呼び、中央本線の旧メインルートだった路線です。

上の地図を見ると分かるように、かなり遠回りなルートです。

 

中央本線のルートを計画する際に、木曽谷経由(現在の中央線)と伊那谷経由(現在の中央道)の2つの案があり、木曽谷経由に決定しました。

ところが、当時の鉄道局長であった「伊藤大八」が、自らの出身地である伊那谷に中央線を通そうとしたという説があり、これが大八廻りと呼ばれる所以です。

 

これを「我田引鉄のはしり」と紹介する人と、「建設当時の技術では塩嶺トンネル(現在のメインルート、トンネル長さ5994m)は掘れなかった」と紹介する人がいます。

 

個人的には後者の方だと思います(事実、塩嶺トンネルの建設工事は難工事だった)が、どちらの要素もあったのかもしれません。

 

話が遠回りしているので元に戻します。

大八廻りの主要駅は、飯田線と中央線が乗り入れている辰野駅です。

特急「あずさ」急行「アルプス」「こまがね」などの優等列車も停車していました。

 

JR化されてからは飯田線がJR東海、中央東線がJR東日本の管轄になったので、両社の境界駅となっています(正確にはどこかの場内信号機が境界だとかなんとか)。

f:id:toremor:20200801200125j:plain

f:id:toremor:20200802215032j:plain

辰野駅を出発して左手に飯田線が分かれ、右手に進むと中央東線の塩尻駅方面へ向かう。

 

長大ホームと貨物用の着発線が残る

先ほどもご紹介した通り、優等列車の停車駅であった辰野駅はホームが長めに造られています。

f:id:toremor:20200801200119j:plain

長大ホームに停車する大八廻りの中央東線の普通列車と飯田線の普通列車。

現在では定期特急列車の停車はなく急行列車も廃止されているので、主に2~3両の普通列車のみの発着となっています。

 

12と書かれた停車位置目標もあります…特急「あずさ」もこの辺りまで来ていたのでしょうか。

f:id:toremor:20200801200208j:plain

「12」と書かれた停車位置目標。

旅客用ホームは0~3番線が使われています。

飯田線からの列車の交換と塩尻方面の中央東線が同時に停車することもあるので、ホームの長さは余らせていますが、容量は現在でも役に立っています。

f:id:toremor:20200802210203j:plain

辰野駅の旅客用ホーム。

旅客用ホームではない側に目を向けると、そこそこの大きさの貨物用着発線があります。

f:id:toremor:20200801195952j:plain

貨物列車の着発線。現在は使用しないが側線も含めて9番線まである。

2009年まで根岸駅から灯油やガソリンの貨物輸送があったらしいですが、それ以降は貨物列車は発着していないようです。

 

ところで、辰野駅の時刻表を見てみます。

f:id:toremor:20200801195849j:plain

f:id:toremor:20200801195908j:plain

当駅からJR東海とJR東日本が分かれる。

辰野から岡谷方面は、飯田線からの直通列車が多数運行されているので本数は多め、一方塩尻方面は非常に本数が少なくなっています。

辰野→塩尻の移動をする際、時間帯によっては岡谷駅まで南下し塩嶺トンネルで塩尻に向かった方が早い時もあります。

 

飯田線方面はというと、本数も(この周辺にしては)多いですが諏訪周辺から伊那市付近までの区間利用が多いため、列車内も混雑する傾向にあります。

 

辰野駅にはかつて駅ビルが存在した!

改札から出まして振り返ってみると、何やら駅ビルのような看板がついています。

f:id:toremor:20200801195927j:plain

f:id:toremor:20200801195932j:plain

辰野駅の外観。2階があったらしい。

リュシオール…

「これは何だ」と思い調べてみたところ、中央東線の新ルートが完成して、辰野駅に特急の停車がなくなる見返りとして建設された駅ビルだったようです。

 

建物に近づいてみると、確かに階段で上に登れるようになっていた痕跡があります。

f:id:toremor:20200801195914j:plain

f:id:toremor:20200801195920j:plain

このシャッターの裏に階段があると思われる。

看板にはVideo Rental TACとありますね~

建物の大きさとしてはさらに複数の店舗があった感じがあります。

 

当然というと失礼ですけれど、この駅ビルの店舗も長くは持つはずもなく……

現在では全く営業していません…。

 

辰野駅と発車メロディー

県内を知る方であれば一般的に「辰野といえば蛍でしょ!」と言われますが、発車メロディーなどに詳しい、いわゆる「音鉄」と呼ばれる方には発車メロディーで有名な駅です。

 

今や貴重(?)になりつつあるサウンドファクトリー製の発車メロディーが現役で、SF10-31やSF10-12(For Tomorrow)という曲が使われています。

接近放送も珍しいものが使用されているとのことで、18きっぷシーズンに収録されている方を見かけてことがあります。

 

実は発車メロディーを取り扱うボタンを押すスイッチをつくる工場が辰野にあるようです。

f:id:toremor:20200801195900j:plain

f:id:toremor:20200801195854j:plain

分かる人には分かるスイッチかもしれない。

この春日電機さんはパトライトなんかもつくっているようです。

交通関係のスイッチに強いのかな…? 

まとめ

f:id:toremor:20200801200151j:plain

中央東線大八廻り、小野~塩尻間で東塩尻信号場跡を通過中~

定期優等列車が停車しなくなった辰野駅。

辰野駅に最後に特急列車が入線したのは、確か数年前に189系で運転された木曽あずさ号だったのではないでしょうか。

JR東日本と東海を直通する臨時特急で、新宿から南木曽までのロングラン列車でした。

 

優等列車が停車しなくなり設備は余らせ気味になっても、飯田線との接続駅という機能は健在で現在でも賑わいを見せることもあります。

 

辰野駅から塩尻駅にかけての本数の少ない区間には、最近密かに人気の東塩尻駅という廃駅もあります。

 

www.toremor.work

 

マニアックでディープな中央線の大八廻り、機会があったら是非一度ご乗車になってはいかがですか~?

 

↓鉄道コムに戻る

 鉄道コム

 

 

 

【未成線】国鉄時代に計画された中津川線の痕跡を探す

「未成線」を歩いて探索!

f:id:toremor:20200725151614j:plain

国鉄中津川線の鉄道用地が現在も残る。

計画はされても誕生することのなかった路線、「未成線」

かつて国鉄時代に、長野県の飯田駅と岐阜県の中津川駅を結ぶ鉄道路線の計画がありました。

 

結局開通することはありませんでしたが、着工区間の遺構を現在でも見ることができます。

 

 

幻の鉄道路線「中津川線」

f:id:toremor:20200725144002j:plain

国鉄中津川線のルート。かなり大まかなルートなので駅やトンネル位置は正確な位置ではない場合がある。

飯田と中津川を結ぶ計画だった中津川線

貨物輸送にも対応し、全線電化する予定で建設が進められました。

着工当時(1960年代後半)は飯田線は電化済み、中央西線も電化予定だったので、最初から電化する計画だったみたいです。 

f:id:toremor:20200725151857j:plain

日本鉄道建設公団のB線(地方幹線)として一部区間は工事が進められましたが、平行する中央道の恵那山トンネルが開通したこともあり、計画は頓挫。

建設用地は日本国有鉄道清算事業財団に譲渡され、現在に至ります。

 

中津川線は、B線として計画された中では、鉄道として開業することがなかった唯一の路線ということになります。

 

飯田から中津川を通って名古屋方面へ直通する鉄道路線……

不思議な話ですが、計画が頓挫してから約半世紀、このルート自体は結果的にリニア中央新幹線が開業すれば、成し遂げられることになります。

中津川市側のトンネルは先進坑のみ、しかし…

まず、中津川市側の痕跡を探します。

中津川の市街から中央道に平行して離れること約8km、クアリゾート湯舟沢という施設にやってきました。

f:id:toremor:20200725151936j:plain

神坂駅の建設予定地に立つクアリゾート湯舟沢。

この施設、中津川線の神坂(みさか)駅の建設予定地に建てられたものです。

怪しい痕跡はないかと、プールや温泉に向かう親子連れを横目に見つつ調査開始。

 

駐車場の脇を見ると、真っすぐに伸びる砂利道があります。怪しい。

列車が来そうなところに車が列になって止まっています!

f:id:toremor:20200725152039j:plain

手前の砂利道が怪しい。

これだけではよくわからないので、この砂利道を施設側に歩いていきます。

すると…砂利道の延長からすこし下がったところに、基礎っぽいコンクリートが現れます。

f:id:toremor:20200725152132j:plain

規則的に並ぶコンクリートの基礎(?)

このコンクリートは約10mくらいの一定間隔で並んでいて、一部は石で目立たないようにオブジェ(?)のようになっています。

 

続いてクアリゾート湯舟沢の裏手を覗いてみると…

これが神坂トンネルの先進坑と言われている建造物です。 

f:id:toremor:20200725152258j:plain

神坂トンネルの先進坑と言われる穴。

実際のトンネルとなる場所はどこなのかは分かりませんが、この付近から神坂トンネルに入り、昼神温泉方面へと延びる予定でした。

 

真っすぐに伸びる盛土と未完成の橋脚

続いて中央道飯田山本IC近くのバイパスにやってきました。

整備された区間の端に、直線的に伸びる盛土を発見。

まさに鉄道用地という感じです。

f:id:toremor:20200725152440j:plain

真っすぐに伸びる盛土区間。

こちらの区間は一部歩道のような造りになっていて、草も刈られ歩きやすくなっています。

幅は単線しかありませんが1960年代後半に着工しているだけあって、真っすぐで平坦な印象。

f:id:toremor:20200725152717j:plain

f:id:toremor:20200725152619j:plain

遊歩道(?)沿いには1970年に建造されたことがわかる鉄道設備がある。

残されている部分はおそらく一つも踏切はなく、立体交差になっています。

 

数100m歩くと歩道は途切れ、下の住宅道路に降ろされます。

f:id:toremor:20200725192438j:plain

遊歩道の終点。写真左手に降りる階段がある。

降ろされた場所はどうやら未完成の橋梁のようです。

茂みにも橋脚が一つ。

f:id:toremor:20200725192619j:plain

f:id:toremor:20200725192624j:plain

f:id:toremor:20200725192614j:plain

未完成の橋梁。小さな沢と道路を跨ぐだけなので大きくはないが、迫力がある。

手持ちのカメラがあまり望遠向きではなかったので、見づらいですが、「久米川橋りよう」と記されています。

f:id:toremor:20200725193047j:plain

久米川橋りょう、昭和44年建造のようである。

橋を渡った先にも盛土区間が続いていますが、こちらは荒れ放題。

f:id:toremor:20200725152738j:plain

久米川橋りょうを渡ってすぐの盛土区間。この先に二ツ山トンネルの遺構があるらしいが、荒れていて訪問時は雨天であったので断念。

盛土の脇を降りまして、周辺を歩いてみると国鉄時代の境界杭、引照標もありました。

f:id:toremor:20200725193856j:plain

f:id:toremor:20200725193852j:plain

境界標と引照標も健在。

事前の情報によるとこの先に二ツ山トンネルの中津川側の入口があるようですが、今回は雨も降っていたので断念…

 

二ツ山トンネルは反対側(飯田側)の入口から見ることにします。

 

中津川線最大の痕跡を見る

f:id:toremor:20200725194105j:plain

伊那谷の脇を駆け抜ける予定だった中津川線。

飯田側の二ツ山トンネル出口周辺は、現在最も中津川線の痕跡が分かるエリアです。

田園風景の中に真っすぐな盛土が続きます。

実際に鉄道が通っていれば、伊那谷の先に南アルプスが見える眺望良好な区間だったと思われます。

f:id:toremor:20200725194247j:plain

盛土上から見られる景色。晴れていれば奥の南アルプスの山々も綺麗に見えるかもしれない。

こちらの盛土の上も、飯田山本IC付近よりは茂っていますが草刈りがされていて、容易に歩くことができます。

f:id:toremor:20200725194427j:plain

比較的歩きやすいが、汚れても良い服装でいかないと大変なことになります!

この盛土区間の中間地点には、少しだけ幅が広がった場所があります。

f:id:toremor:20200725194613j:plain

f:id:toremor:20200725194646j:plain

伊那中村駅の建設予定地。周辺に比べて幅が広くなっている。

これは「伊那山本駅」の建設予定地と言われています。

駅周辺も住宅と田畑が広がります。

 

少し盛土を降りてみるといかにもという感じの高架があり、これはただの堤防ではないと、鉄道を知らない方でも気づけるかもしれません。

f:id:toremor:20200725195100j:plain

山の近くまで歩いてみます。

f:id:toremor:20200725195240j:plain

何やらトンネルの入口が見られる。

山の際には二ツ山トンネルの飯田寄りの入口が見られます。

先は真っ暗で、もしかするとこのトンネル内部でカーブがある可能性があります。

f:id:toremor:20200725195329j:plain

f:id:toremor:20200725195347j:plain

f:id:toremor:20200725195414j:plain

二ツ山トンネル、飯田側の入口。

土地柄、普段狭小トンネルばかり見ている筆者からすると「大きいなぁ~」という印象。

初めから電化する予定でつくられていましたから、断面も大きくなっています。

 

トンネル内部はボーリングコア(調査をする際に地盤を確かめるために穴を掘ったときの試料)のようなものが置かれています…こんなところにあったら使えなくなりそう…

というか使わないのか…

f:id:toremor:20200725195720j:plain

なんとなく、鉄道が来そうな雰囲気がある。

 

盛土とトンネルの遺構が残る中津川線。

これだけコンクリートの塊が残ると「負の遺産」として捉えがちですが…

 

中津川線の工事によって湧出した温泉によって、昼神温泉という新たな温泉地が誕生。

現在では長野県南部随一の温泉地にまで発展しました。

f:id:toremor:20200725200004j:plain

昼神温泉は中津川線建設工事の時に湧出した新しい温泉。いわゆる美肌の湯で、ヌルヌルとした肌触りが特徴的な温泉である。

ついに数年後(?)にはこの計画路線に平行したリニア中央新幹線が開通する予定です。

幻の中津川線のDNA(?)は、現在や未来の観光地や鉄道をつくる原動力になっているのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

台風から1年、上田電鉄の現在はどうなっているのか?

「赤い橋」が流された上田電鉄

f:id:toremor:20200719211809j:plain

上田電鉄千曲川橋梁。

昨年の台風19号の被害を受け、千曲川橋梁の一部が流されてしまった上田電鉄

現在はどうなっているのでしょうか?

取材班(一人)は現場に向かいました……

 

 

現在も上田ー城下間で代行バスによる運行が続く

f:id:toremor:20200719211545j:plain

一部流失した千曲川橋梁。

上田電鉄は上田ー別所温泉間を約30分で結ぶローカル線です。

昨年の台風19号で、上田電鉄の上田ー城下間にかかる「千曲川橋梁」の一部が流失してしまいました。

現在では堤防の工事と合わせて、橋梁の復旧作業が続けられています。

 

そのため上田駅と橋を渡ってすぐの城下駅の間の路線は、事実上の休止状態となっていて、すべての列車は城下駅発着となり、城下駅から上田駅まで代行バスに乗り換えとなります。

f:id:toremor:20200719212032j:plain

「丸窓電車」の愛称で親しまれた上田電鉄の車両。なんと現役引退後すべての車両が解体されずに保存されている。

上田電鉄上田駅の現在

f:id:toremor:20200719212607j:plain

列車の来ない上田電鉄上田駅のプラットホームは、広場として公開されている。

列車しばらく来ることのない上田電鉄の上田駅は、広場として開放されています。

記念撮影ができるパネルや復旧工事の様子などが展示されていて、わずかながら観光客の姿もありました。

f:id:toremor:20200719213020j:plain

上田駅ホームには復旧工事の状況が展示されている。

そして筆者の目に留まったのはこの鉄道警戒標識

f:id:toremor:20200719212818j:plain

ホーム先端にある鉄道警戒標識。「台風」の文字がある。

当時のものなのでしょうか、「警戒:台風」の文字でホーム端に取り付けられています。

現在進行形で「台風の復旧工事をしている」という想いをひしひしと感じます。

f:id:toremor:20200719213111j:plain

上田電鉄上田駅。

上田駅のきっぷ売り場は営業しているようで、券売機も使えるようです。

 

さて、鉄道代行バスは上田駅の温泉口から出発します。

代行バス乗り場に移動すると、そこには想像以上の列が…

f:id:toremor:20200719213534j:plain

代行バス乗り場は列になっていた。

写真にはありませんが、筆者の背後にもほぼ同じくらいの長さの列がありました。

訪れたのは休日の昼下がりでしたが、代行バスは満席、立ち客もかなりいる感じでした。

f:id:toremor:20200719213818j:plain

代行バスは通常の路線バスの車両が使われる。

代行バスは、別所温泉からやってきた列車が城下駅に着く時間に合わせて上田駅を出発します。

本来であれば城下駅に到着する列車がそのまま上田駅に到着し、折り返しで運用に入ります。

したがって現状では、普段の上田駅の出発時間より相当前倒しで代行バスに乗車する必要があります

 

仕方ないですけどね~

 

バスに揺られて10分もしないうちに城下駅に到着。

城下駅では臨時の切符販売所が設けられ、こちらでもきっぷの販売をしています。

f:id:toremor:20200719213958j:plain

城下駅はバスからの乗り換えの乗客で賑わう。

突然ターミナル駅の役割を背負った城下駅、列車の到着とバスの乗り換えが重なると、かなりの人数になります。

f:id:toremor:20200719214232j:plain

城下駅に停車中の上田電鉄1000系。当駅が臨時のターミナル駅になっている。

 

「赤い橋」の現在を眺める

f:id:toremor:20200719214644j:plain

千曲川橋梁の流失箇所には近づくことはできない。

一方、流されてしまった千曲川橋梁を眺めてみます。

赤色のトラス橋、1924年開通の歴史ある橋梁です。

 

当時の地方私鉄の橋梁は、国鉄からの払い下げたり、海外製のいわば「お古」の橋梁をかけることが多かったのですが、なんとこの橋は上田温泉電軌(上田電鉄の前身)の独自設計で新造。

 

立派な橋だっただけに流失は残念でしたが、廃線にならず、復旧(というよりは一部新造?)が決定しただけでも嬉しいですね。

 

ニュースでたびたび報じられた鉄道橋の途切れた箇所は、立ち入り禁止で見学もできません。

最も城下駅寄りの一つのトラス(?)が流されてしまったことが分かります。

f:id:toremor:20200719215022j:plain

千曲川橋梁を下流側に向かって眺める。右端が流失部分。

では反対側に回ってみましょう。

f:id:toremor:20200719215237j:plain

台風被害の復旧のスローガンは"ONE NAGANO"

近づくとこのトラス橋、結構迫力があります。

かなり重厚な造りで、歴史を感じますね~

 

おお、東急建設も関わっていますね~流石…

後に述べますが上田電鉄は東急系列の鉄道会社です。

 

地域に愛され続ける上田電鉄

f:id:toremor:20200719215649j:plain

f:id:toremor:20200719215545j:plain

別所温泉駅や上田駅には寄せ書きや折り鶴が飾られている。

上田駅にもその反対の終点、別所温泉駅も寄せ書きやメッセージ、折り鶴が飾られています。

かなり地域住民に愛されているという雰囲気が、一度行っただけでも感じとることができます。

 

事実、上田電鉄の早期復旧のために5万人の署名や3000万を超える寄付が集まり、これを見た上田市も補助金を出すことを決めました。

上田電鉄の千曲川橋梁を上田市が所有する形をとることで、交付税を復旧費用に充てられるようにする、という斬新なアイデアで復旧費用を賄っています。

f:id:toremor:20200719215840j:plain

f:id:toremor:20200719220228j:plain

別所温泉駅は美しい景観の残る駅舎である。

余談ですが上田市は公共交通機関への投資が熱心で、市が補助金を出してバスの上限運賃を設けたりして、利用の促進をしています。

これはこれからの高齢化社会を見据えたもののようです。

 

地域住民の熱意が自治体を動かし、鉄道を早期復旧させる決断に至った今回のケースは、「公共交通機関としての鉄道の今後のあり方」を考える上でも一つのモデルになるかもしれません。

 

おまけ:長野県と東急創始者の意外な関係【#GoTo慶太キャンペーン】

f:id:toremor:20200719220732j:plain

先日、Twitterで「go to トラベルキャンペーン」にあやかりまして、一部で#GoTo慶太キャンペーンなるハッシュタグが広がりました。

 

五島慶太とは東急の創始者であり、「渋谷」という町の初代の大家さんともいうべき実業家です。

実はこの方、長野県の出身

 

 

上田電鉄は東急グループ

五島慶太の出身地は長野県青木村で、上田電鉄の前身、上田温泉電軌青木線の沿線が実家でした(現在は青木線は廃止)。

青木線沿線の名湯、田沢温泉は五島慶太ゆかりの旅館も現存しています。

www.toremor.work

 

青木村には五島慶太の資料館が最近オープンしました。

f:id:toremor:20200719222316j:plain

青木村に今年6月に完成した、五島慶太未来創造館。入場無料。

かつてこの地域では生糸の生産が盛んで、また沿線に温泉地があったことで、上田電鉄の路線がいくつもありました。

f:id:toremor:20200719221119j:plain

上田電鉄下之郷駅にはかつての路線の分岐の跡が残る。

ところが全国の地方私鉄の例に漏れず、需要の低下から現在は別所線のみになっています。

 

 

上田電鉄は1958年から東急の系列会社となり、現在へ至ります。

今では車両も東急の中古車両を使っています…おかげで車両のvvvf化も達成。

車両内装もほとんど東急時代のままなので、乗車するとものすごい「東急感」があります。

f:id:toremor:20200719221408j:plain

f:id:toremor:20200719221508j:plain

かつての東急をご存知の方はこの座席でピンとくるのではないだろうか。下之郷駅には「湯たんぽ」こと東急5200系も留置されている。

 

意外な路線も五島に救われた

東急の開発の陰で、五島はふるさと信州の鉄道も支えていました。

 

上田電鉄だけでなく当時私鉄だった現在の飯山線も、五島慶太の支援で廃線を免れた歴史があります。

飯山線は五島の支援の後、国有化され現在に至ります。

f:id:toremor:20200719222041j:plain

飯山線も私鉄時代に五島の支援で助けられた。写真は森宮野原駅に停車中のキハ110形おいこっと編成。

他にも上田周辺が凶作の際にも、東急で人材を雇って学生の就職を支援したという話もあります。

故郷想いの人物だったんですね~

 

五島慶太が支援した上田電鉄は、現在では地域住民に支えられて復旧工事が進み、2021年度春の開業を目指しています。

 

当ブログでは、上田電鉄の今後の益々の発展をお祈りしております!

 

※ブロガーバトンを渡していただいた方、まことにありがとうございました!

これからも続けられるよう、頑張ってまいりますので今後ともよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

【貴重】651系特急「草津」、3列グリーン車に座る

「格」が違う!?651系のグリーン車で上野へ

f:id:toremor:20200711202149j:plain

グリーン車趣味が加速した筆者が、是非乗ってみたかった651系のグリーン車。

今や特にJR東日本では、「3列グリーン車」は豪華で貴重なものとなりました。

 

今回は651系の特急「草津」のグリーン車で、かつては多くの特急が発着していた上野駅の地平ホームへ向かいます!

 

 

今のJR東日本の基本はグリーン車も4列

f:id:toremor:20200711224806j:plain

最近のJR東日本の標準的なグリーン車は4列。これは特急「あずさ」「かいじ」などに使用されるE353系のグリーン車。。

最近のJR東日本の特急列車の標準的なグリーン車は、普通車と同様の4列シートが標準です。

一部からは「ぼったくりグリーン車」と揶揄されていますが、その代わりJR東日本のグリーン料金は他社よりも低く設定されています。

(個人的には筆者が特急「あずさ」のグリーン車の混雑具合を見ても、4列の方が利用実態に見合っているような気もします…)

 

それに対して、651系のグリーン車はゆったり3列のシートを採用をしているのが特徴です。

 

座り心地はいかに…?

f:id:toremor:20200711202221j:plain

651系のグリーン車のつくりはかなりしっかりとしている。

気になるシートピッチ(座席の前後間隔)は意外と国鉄時代と変わらずの1160mm。

標準的な広さなんですが、若干狭く見えます。

 

これは座席自体が大型になっているため、そう見えるというだけみたい…

 

座席のヘッド部分ぐらいまでモケット張りになっていて、座ると包み込まれるような気分になります。

新幹線のグリーン車の感覚とよく似ています。

 

座席テーブルは前の座席の後ろに設置されていて、ひじ掛け部分には机はありません。

取り出してみると結構微妙な位置で、お弁当とかは食べづらいかもしれません。

f:id:toremor:20200711202250j:plain

座席テーブル。

フットレストは固定されていて、靴を脱いでひっくり返すタイプ。

短足な筆者なので参考になるか分かりませんが、ちょうどいい感じです。

f:id:toremor:20200711202204j:plain

フットレスト。

各座席に読書灯もついています。

f:id:toremor:20200711202304j:plain

f:id:toremor:20200711202607j:plain

スイッチのon/offを切り替えることができる。

窓は大型で、上野方面に向かうときは偶数番の席に座ると眺望が良好です。

f:id:toremor:20200711225604j:plain

大型の窓も登場当時は斬新だったのかもしれない。

細かい部分ですけど、LED表示器もどことなくなんといいますか、JR初期の雰囲気が漂います。

f:id:toremor:20200711225345j:plain

651系のLED表示器。

こちらは公衆電話のスペースだったところでしょうか…

「途中トンネル、山間部等使えない区間がございます」なんていう放送もいつの間にか消えてしまいました。

f:id:toremor:20200712102122j:plain

公衆電話のスペースの跡?

ドアもまたJR初期っぽい(?)感じ…

このような鉄道のデザインも流行がありますよね~

f:id:toremor:20200712102404j:plain

651系のドア。

洗面台を見ても、国鉄時代の古めかしいものから新しくしていこうという意気込みが感じられます…

特にトイレ周りは新型車両になるにつれて大幅に改良されていく印象があります。

f:id:toremor:20200712102730j:plain

651系の洗面台。

そもそも651系は常磐線の速達タイプの特急「スーパーひたち」として使われていた車両。

651系のグリーン車は登場から3回程度リニューアルされていて、現在の形になっています。

f:id:toremor:20200712102925j:plain

高崎線系統の651系は現在は直流化され7両編成。グリーン車もついている。

以前の座席はオーディオサービスがあって、液晶テレビがついていたのだとか…

グリーン車の座席に座って待っていると、「スーパーひたちレディー」がヘッドホンとコーヒーと持ってやってきて、ひざ掛けのサービスもあったらしい…

もはやビジネスクラスですね~

 

登場当時のキャッチフレーズは「タキシードボディーのすごいやつ」

f:id:toremor:20200711202124j:plain

渋川駅に入線する651系。

そもそも651系は、JR東日本が随分と力を込めて製造した車両です。

見た目も現在では普通な感じがしますが、国鉄型の車両だらけだった時代にこのデザインは斬新であったはずです。

 

タキシードボディーと呼ばれた外装ですが、特急「草津」に転用する際にオレンジ色の線が引かれました(それ以外はほぼ変わっていません…)。

f:id:toremor:20200711230154j:plain

高崎線系統に転属した際にオレンジ色の帯が追加された。行先表示器は幕式。

設計最高速度はなんと160km/h。

当時スーパー特急と呼ばれる計画(新幹線程度の規格で路線を整備し、線路幅はそのままにして高速で走行するというもの)が流行っていたため、それを見据えて開発されたとの噂があります。

 

ちなみに先代の特急「スーパーあずさ」に使用されていたE351系(登場も651系とだいたい同時期)も設計最高速度は160km/hでした。

これも同じ理由らしいですが、真相はわかりません。

f:id:toremor:20200711230426j:plain

特急「スーパーあずさ」に使われていたE351系。振り子式で設計最高速度は160km/h、現実にはオーバースペック気味だった。

車両の外見やスペックはさることながら、先ほど述べた「スーパーひたちレディー」による豪華なグリーン車サービスもあったわけですから、相当気合が入った車両だったことがうかがえます。

 

特急「草津」は上野駅地平ホーム発着

特急「草津」は上野ー長野原草津口間を平日は一日2往復、休日は3往復しています。

観光地で言えば草津温泉や伊香保温泉へ向かう列車です。

f:id:toremor:20200712104911j:plain

f:id:toremor:20200712104942j:plain

伊香保温泉は渋川駅からバスでアクセス可能。バスの本数も多く意外と公共交通機関で行きやすい。

筆者は伊香保温泉最寄りの渋川から高崎や熊谷、大宮などを通って上野駅へ。

尾久から上野にかけて、いまや貴重な185系と2回もすれ違うサプライズで浮かれていました。

 

意外かもしれませんが、JRの上野駅って線路名称上は東北新幹線と東北線しか乗り入れていないんですよね~あんなに線路があるのに…

 

特急「草津」の上野発着便は地平ホーム(頭端式ホーム)に止まります。

上野駅地平ホーム、かつては寝台特急や寝台急行のターミナルとして使われた往年のホームでしたが、現在では「特急草津」はここを発着する数少ない特急となりました。

f:id:toremor:20200712103600j:plain

上野駅に到着した特急「草津」。

 ついでにブルートレイン末期に寝台特急用のホームとして使われた13番線を見物。

f:id:toremor:20200712105158j:plain

寝台特急が発着していた上野駅13番線。

JR東日本の豪華寝台列車「トランスイート四季島」はこのホームから発着しますが、実際には13.5番線(?)から乗り込むようです。

ここ、荷物積み下ろし用のホームだった場所です。

f:id:toremor:20200712105352j:plain

f:id:toremor:20200712105412j:plain

上野駅13.5番線、四季島専用ホームへはゲートを通って向かう。通常は立ち入りできない。

 13番線をよく見るとプラットホームのデザインが凝っていることが分かります…晩年は特別なホームとして使われることが多かったのです。

f:id:toremor:20200712105539j:plain

上野駅13番線、ホーム床のデザイン。

個人的には、別に集団就職した世代でもないんですけど、もともと地元が東京の方だったこともあり、愛着のあるターミナル駅です。

やっぱり「上野は俺らの心の駅」ですね~

f:id:toremor:20200712105705j:plain

f:id:toremor:20200712105807j:plain

上野駅は東京近辺でもっとも「終着駅」らしさが残っている駅かもしれない。