2012年に廃止された長野電鉄屋代線
長野ー湯田中間を結ぶ長野電鉄ですが、以前は屋代ー須坂間や信州中野ー木島間に路線が伸びていました。
以前伸びていたこれらの路線は、千曲川の東側を走行していたので「河東線」と呼ばれ、特に屋代ー須坂間は「屋代線」の愛称で親しまれました。
この「屋代線」、国鉄時代には上野から直通の急行列車も乗り入れていた路線でしたが利用客の減少から2012年に廃止されました。
廃線となった屋代線の設備は解体されたものも多いですが、途中駅である「松代駅」は現在でも開通当初から使われていた木造駅舎が現存しています。
今回は長野電鉄松代駅を探索しつつ、駅から歩いて行ける桜の隠れた名所「松代城跡」をご紹介します。
大正時代から使われた木造駅舎が現存
2012年で営業を終えた松代駅は、かつて2面3線、留置線を備えた比較的大きな駅でした。
廃止直前の松代駅の空中写真を見ても、島式ホームがあることが分かります。
駐車場となっている部分は留置線の跡のように見えますね~
現在は島式ホームが撤去され、駅舎と単面のホームが残されています。
島式ホームのあった場所は駐車場が広がった形で利用されています。
駅舎を見てみます。
趣のあるいい駅ですね~
1922年の建築当時から使われている駅舎です。
ほぼ現役当時のまま残っているのでしょうか。
耐震補強などはされず、入口には「地震があったら外に避難してください」という張り紙があります。
待合室へ入ります。
雰囲気が素晴らしい……
この窓口の形から小荷物の取り扱いがあったことがうかがえます。
駅に小さな荷物が届くサービス、随分前に姿を消しましたが逆に現代の生活にはマッチしそうですよね~
窓口周りも、比較的綺麗に残されています。
と言うより「放置されている」という方が適切かもしれません。
松代駅の良いところは、駅員のいた側にも入れるということ。
私が小さかったらここで駅員ごっこをしていたに違いありません。
観光案内のためか、駅の隣にある海津城の説明のほか、家系図が飾ってありました。
あちこち見回すと、安全綱領が残っていたりしました。
美しい字ですね~
現存するホームと放置されている看板
駅舎だけでなく、ホームも残っています。
かつてはこのホームのほかに島式ホームがありましたが、現在では解体されています。
列車が来そうな雰囲気は現在でも健在。
この場に立つと、松代駅が解体されなかった理由が良く分かります。
乗車位置目標がそのまま残っていますね~
廃止当時はワンマン列車だったので、乗れるドアが限られていたようです。
ブザーや壊れた駅名標も残っています。
松代の「まつ」だけが残っていますね~
観光用の案内図もあります。
しかし、脇の方に目を向けると「保存」とは言い難い感じで放置されているものが…
この看板は廃止当時に撤去したままのような感じがあります…
さらに奥を見ると…
これは多分「信号てこ」と呼ばれる機器の一部で、手で操作してワイヤーを伝って信号が変わるものだと思います。
確かに屋根の下にはありますが、これも野ざらし……
私はこんな感じで現役の雰囲気が残る方が好きですが、この駅舎をこの先持続させていく困難さを知った気がします。
見られるうちに見ておいた方がいいかもしれません。
「松代大本営」の建設を支えた駅、現在はバスの拠点に
戦時中に、長野電鉄屋代線は「不要不急線」として休止する予定だったようですが、大本営を松代に移す計画のためこの路線は活用されることになりました。
松代の山中を掘った余りの岩石(ズリ)は、長野電鉄屋代線松代駅から各地に運び、厚木基地や三沢基地の滑走路にも使われたようです。
国の「秘密裏に大本営を松代に移す」計画でしたが、結局貨物列車が松代駅に頻繁にやってくるので地元住民の間ではバレていたなんて話もあります。
いかにもありそうな話……
戦後しばらくこの路線は残りましたが、2012年に廃止されバス転換されました。
松代駅は現在、長野方面と須坂方面のバスが発着するターミナルとして使われています。
電車より本数も多く、地域の方は屋代線廃止後の方が使いやすいのかもしれません。
タクシーもバスも来るので、まるで現役の駅のようで寂しい感じはありません。
素晴らしい雰囲気が残る松代駅。
いつまで残せるか不安な部分もありますが、交通・観光の拠点として残ってほしいですね~
車で行くと長野ICのすぐそばにありますよ!
松代駅近くにある松代城跡
駅のすぐ隣には、武田信玄が築城した海津城(松代城)跡があります。
櫓や門は復元ですが、なかなかの風情です。
ここも穴場的な花見スポットで、石垣と桜のコンビネーションを見ることができます。
松代駅に訪れた方はこちらも是非~