東京飛行場の開設から90年、壮絶な歴史と変貌
緊急時で利用者数が減少しているものの、日本国内で最も多くの航空機の離発着がある羽田空港。
綺麗で国内では大きい空港になっていますが、ここまでに至るにはなかなかに深い歴史があります。
2021年は羽田空港の前身、東京飛行場の開設(1931年)から90年にあたります。
また、その空港の変化に合わせて、羽田空港へのアクセスも変貌を遂げてきました。
今回は羽田空港とそのアクセスについて、空中写真を見ながらその変貌を追っていきます。
- 東京飛行場の開設から90年、壮絶な歴史と変貌
- 現在の第3(国際線)ターミナル付近はなんと競馬場だった
- 初の空港アクセス線?「GHQ専用線」
- 戦後の羽田空港は現在の位置にはなかった
- 沖合移転で幻となった東京モノレールの廃トンネル
- 国際線ターミナル開業で東京モノレールはまたもやルート変更
- 羽田空港とアクセスの未来
- おまけ:過去の地形図や空中写真を見るには?
現在の第3(国際線)ターミナル付近はなんと競馬場だった
羽田空港の歴史は1931年に完成した「東京飛行場」から始まります。
当時の「東京飛行場」は、現在の羽田空港の北側に位置していて、滑走路1本の小さな飛行場でした。
1936年の写真を見てみると、現在の地方空港のような規模の滑走路とエプロンが確認できます。
滑走路の隣は運動場、南部側には地方競馬の「羽田競馬場」があります。
この競馬場は現在の羽田空港第3ターミナル付近に位置しています。
当時のこの地域のアクセスは、京急穴守線(現在の空港線)がメインだったと考えられます。
しかし、空港アクセスを念頭に置いたものではなく、現在の天空橋駅付近に位置していた「穴守稲荷」へのアクセス路線として機能していました。
この京急穴守線自体も駅が移転したり延伸したり短縮されたりとかなりの歴史がありますが、今回はざっくりと見ていきます。
初の空港アクセス線?「GHQ専用線」
東京飛行場は太平洋戦争前から需要が伸び始め、隣の運動場を買収して滑走路を拡大しました。
戦時中も使用された実績があるようで、この頃から重要な飛行場として定着し始めます。
戦後、東京飛行場周辺はGHQによって接収され、海老取川(写真で空港と街を隔てている川)以東の住民は強制退去を命じられます。
この影響で現在でも海老取側以東には人家がありません。
埋め立てが進み、新たな滑走路ができて旧羽田空港の原型が出来上がります。
空中写真を見てみると、京急穴守線から何やら貨物線が分岐し、空港の内部まで線路が伸びているように見えます。
この区間にはGHQの専用線があったとされ、これが初代の空港アクセス路線と言えます。
戦後の羽田空港は現在の位置にはなかった
1955年、一般の旅客が利用できる「羽田空港」のターミナルが開業します。
これは私よりご覧になっている方々のほうが詳しいかもしれませんが、こちらのターミナルは現在の羽田空港と位置も建物も違うものでした。
開業当初は車しかアクセス手段がなく、付近の道は大渋滞。
これを解決しようとしたのが首都高1号羽田線と、東京モノレールです。
1964年にどちらも開業、東京モノレールは空港直下に「羽田駅(初代)」を開業させます。
東京モノレールは羽田整備場(現在の整備場駅)を出ると単線になり、そのまま地下トンネルに入って1面2線の羽田駅まで真っすぐ伸びていました。
一方で京急はと言うと、GHQが使っていた貨物線が廃止され(当時は現在の穴守稲荷駅まで営業していた)、現在の天空橋駅の対岸に位置する場所に初代「羽田空港駅」を1956年に開業させます。
ところがこの駅、空港まではかなり距離があって、とてもアクセスとしては使えない駅だったのです。
一応、羽田空港駅から羽田空港までのアクセスバスが発着していたものの、利用者は少ないままでした。
「羽田空港」という空港から離れた京急の駅と、「羽田」という空港直下の東京モノレールの駅が存在する難解な時代があったということになります。
その後時代が進み、航空機の需要が拡大したり、付近の騒音問題で、羽田空港はターミナルや滑走路を移転する「沖合移転」をすることになります。
成田空港の開業が遅れたこともあって、かなり空港の容量は逼迫していたようです。
確かに写真で見てもかなり狭そうな空港ですよね~
平成の時代に入るといよいよこの「沖合移転」の事業が本格化します。
沖合移転で幻となった東京モノレールの廃トンネル
1993年9月27日、現在の羽田空港第1ターミナルの供用が開始され、同日から東京モノレールと京急線の地下駅「羽田駅(現:天空橋駅)」が開業します。
この際、東京モノレールは空港直下の「羽田空港駅」まで開業しましたが、京急は1998年までこの羽田駅が終点でした。
京急線にとってはGHQの専用線以来となる空港島への乗り入れとなり、ようやく空港へのアクセス路線として定着し始めます。
東京モノレールの初代羽田駅、京急線初代羽田空港駅はこの時に廃止となりました。
ここでちょうど移行期だった1992年の空中写真を見てみると……
現在の東京モノレール整備場駅付近で、海老取川よりに複線の新線が造られていることが分かります。
新線も旧線とほぼ同じ位置でトンネルに入りますが、旧羽田空港の南側を通って、おおきくUターンする形で現在の羽田空港第1ターミナルに続きます。
滑走路も東側の沖合に移転され、羽田空港第2ターミナルや、旧羽田空港の東側には国際線ターミナルの建設が進められていきます。
2004年には羽田空港第2ターミナルが開業し、東京モノレールはもう一度Uターンしてビル直下の「羽田空港第2ビル駅(現羽田空港第2ターミナル駅)」まで延伸します。
京急線はこれを受けて終点の「羽田空港駅」に第2ターミナル側の出口を新設しました。
2007年の写真ではなにやら「✖」と書かれた滑走路や滑走路より広いコンクリートのスペースが見えます。
これがかつての旧羽田空港の面影ですね~
ターミナル移転により廃止となった、京急線の旧羽田空港駅は廃止後解体され駐車場に、東京モノレールの旧羽田駅は埋められたとされています。
東京モノレールの旧線跡はトンネル入り口の空き地や隣接するビルの壁にある凹部(橋脚のために凹んでいた)で痕跡を見ることができますが、それ以外はほぼ見ることはできません。
(↓整備場駅周辺に見られる建物の凹んだ部分。かつてこの部分には支柱があった。)
東京モノレールのかつての旧羽田駅に至るトンネル内部は埋められているのか現存しているのかはっきりせず、公開もされないため、「幻のトンネル」となっています。
(↓東京モノレール旧線のトンネル入口。不自然な空き地となっている。)
国際線ターミナル開業で東京モノレールはまたもやルート変更
沖合移転で新線となった東京モノレールも、第3ターミナル(国際線ターミナル)の開業以前は現在よりも海側を通っていて、これもまた現在のルートと一部異なります。
2010年に羽田空港国際線ターミナルが開業。
東京モノレールは地上区間のルートが変更になり、高架駅の「羽田空港国際線ビル駅(現羽田空港第3ターミナル駅)」、京急には新たに「羽田空港国際線ターミナル駅(現羽田空港第3ターミナル駅)」という地下駅が誕生しました。
その後、羽田空港はさらに沖合にD滑走路を建設し現在の形へと変化していきます。
移転と増築を繰り返した姿がこちら……
東京飛行場からは圧倒的に大きな飛行場へと変化を遂げた羽田空港ですが、こうしてみると人口の多い国の中心的な空港の割にはかなりコンパクトに感じますね~
羽田空港とアクセスの未来
羽田空港周辺の開発はかなり成熟したようにも見えますが、まだまだ途中段階にあります。
沖合移転前の旧羽田空港の滑走路周辺は、新たな商業施設へと変化しようとしています。
研究開発施設や飲食店、ライブ会場などが続々と開業しています。
最寄りはかつての羽田駅だった、天空橋駅です。
そして空港アクセスも、さらに進化しようとしています。
現状、京急線も東京モノレールも、東京駅や新宿駅といった主要駅にダイレクトにアクセスすることはできません。
そこで羽田空港の北側にある東京貨物ターミナルから新たにトンネルを掘り、空港直下へと線路を伸ばす計画があります。
また、東京貨物ターミナルから現在休止中の東海道貨物線の大汐線、りんかい線を経由して、東京方面、新宿、新木場方面へダイレクトにアクセスできるようにし、「羽田空港アクセス線」として一体的に整備される予定です。
2021年1月に事業が許可され、計画は本格化しています。
今後もさらに進化を遂げる羽田空港。
どのような風景が見られるようになるのか楽しみです。
おまけ:過去の地形図や空中写真を見るには?
現在や過去の空中写真や地形図を見たい場合、国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスが非常に便利です。今回もそれを利用しています。
過去から現在までの高解像度の空中写真などを、なんと無料で見ることができます。
詳細をクリックすると、高解像度表示やダウンロードもすることができます。
2次使用は出典を明記すればよく、このようにブログに使ったり論文に使ったりもすることができます。
終戦直後にGHQによって撮られた写真もほぼ全国で見ることができます。
これだけ詳細なデータを無料で誰でも閲覧できる国はとても珍しいんですよね~
家にこもっていても、こうして街の歴史を追うことができます。
Googleのストリートビューや衛星写真と合わせれば、現地に行ってみて見たり現在と比較することができてさらに楽しめますよ!