木曽の谷には真木茂り…
「木曽路はすべて山の中にある」と言われますが、かつてその山の奥地に鉄道網が敷かれていました。
長野県木曽地域は林業で栄えた地域です。
張り巡らされた路線は森林鉄道と呼ばれ、切り出した木材を中央西線の駅まで運ぶ目的で建設されました。
見づらいですが、1951年の地図を見てみます。
下の画面上部にある川に沿って何やら太い線と枝分かれする実線があります。
そのような線がいたるところにありますが、これはすべて森林鉄道だったのです。
現在では森林鉄道のほんの一部が観光路線として残っています。
今回は、豪雨災害や感染症の影響で長らく運休していた観光用の「赤沢森林鉄道」が再開したので、ご紹介いたします。
トロッコ列車で森林浴を楽しむ
森林鉄道が走る地は、長野県上松駅から車で30分(かなり山奥!)、赤沢自然休養林の中にあります。
木曽森林鉄道赤沢線の廃線跡を利用して、観光用のトロッコ列車が走っています。
林野庁が森林セラピー基地に指定した赤沢自然休養林は、観光客だけではなく文字通りセラピーに来る人もいます。
森林セラピー、意外にも科学的根拠に基づいたちゃんとした領域のようで、全国大会の第一回もこの赤沢自然休養林で行われたのだとか。
道中にも研究施設などがあり、森林セラピー分野の先駆け的な存在なのかもしれません。
話をもとに戻しまして、駐車場から少し登ったところに森林鉄道の入口があります。
走行ルートは片道約1kmの往復コース。
アトラクションのようにチケットを購入して、出発を待ちます。
往復900円、折り返し地点からの乗車はできず、往復のみの販売です。
チケットは木製のコースターサイズで、持ち帰ることができます。
訪れた8/11は繁忙期のようで30分間隔で往復しているので、そこまで待ち時間は長くありません。
乗車駅には森林鉄道現役時代の蒸気機関車(静態保存)や、他のディーゼル機関車が留置されています。
観光向けに整備されているので、現役のころの簡易軌道のように「命の保証は致しません」と告げられることもなく、ワクワクとした気分で乗車。
訪れた際はあまり運転再開初日ということもあり、そこまで認知されていなかったからなのかガラガラ…
「密だったら撤退しよう」と思っていましたが杞憂だったようです。
機関車1両、客車5両の編成で客車一人につき1名の乗務員が乗車しています。豪華!
客車は木曽五木と呼ばれる周辺でとれる木の名前が書かれています。
線路は幅762mmのナローゲージ。
軽便鉄道などで見られた特殊狭軌線です。
座席は2+1の転換クロスシート。
折り返し駅で進行方向が変わるからでしょうか、手で座席の背もたれ部分を倒すことができます。
せっかくなので機関車の排気を嗅ぎたい筆者は一番先頭へ。
森林セラピーで新鮮な空気を吸いたい方は一番後方をおすすめします。
機関車は小型ですがディーゼルエンジンのようです。
運転台は横向き、スイッチャーのような形。
機関車に牽引されて出発、森林を縫うように走ります。
車窓もなかなかの見ごたえ、さすが森林セラピー基地というだけあります(森林セラピーと言いたいだけかもしれない)。
途中で観光用の自動放送が良質なスピーカーから聞こえてきます。
真面目なアトラクションといったところでしょうか。
折り返し駅では「機回し」も
10分くらい経過すると、折り返し地点に到着。
ダイヤでは停車時間5分で折り返します。
マニアとしては復路の運転方式が気になるところ。
推進運転か!?と思っていましたが、隣の機回し線を駆使して、なんとものの3分で反対側へ機関車を付け替えます。
かなりのスピード芸、職人技を感じ驚きました。
復路は後方展望を楽しみながらまったりと。
気温は30℃いかないくらいでしたが、川沿いで山奥、標高も若干高いので体感的には涼しいです。
あっという間の25分、乗車した駅に戻ってきました。
駅には待合室があって、これはおそらく森林鉄道現役時代の客車だと思われます。
もちろん内部も入ることができます…かなり狭い。
中山道の宿場町、奈良井宿にもほぼ同形式の客車が展示されています。
森林鉄道のユニークな車両も現存
森林鉄道の乗車駅の隣には記念館があり、木材を運搬していた当時の写真や標識などが展示されています。
こちらは理髪車。
洗面台やスチーマーなども客車についていたそうです。
現地で作業されていた方は街に出ることもなく生活していたわけですが、故郷や恋人に会いに行く前にこの理髪車を利用したとかなんとか。
作業の見回り用の簡易的なモーターカーもあります。
こちらはなんとお召し車両(?)。
昭和32年に皇太子陛下(当時)が上松駅からこの赤沢の地まで、森林鉄道のこの客車で移動したらしい。
これが最初簡単にお見せした蒸気機関車「ボールドウィン号」です。
アメリカから輸入した機関車で、大正5年から昭和35年まで運行されたものです。
経費削減とやらで、燃料を石炭から木片に変えていた時期があるらしく、煙突に火の粉回収装置がついているのが特徴です。
山中至るところに残る森林鉄道の橋脚
さて、赤沢自然休養林までのアクセス道路沿いの景色を注意してみてみると、あちらこちらで橋脚が残っています。
広い場所で車を止めて近づくと、意外と堅牢な石造りの橋脚が見えます。
こんなところに本当に鉄道を通したんですね……
木曽地域の中でも上松駅周辺はもっとも森林鉄道が発達したエリアで、最盛期には総延長400kmを越えていたようです。
この近辺の森林鉄道は1975年あたりの末期まで走っていたので、比較的状態が良く残っているのかもしれません。
まとめ
木曽の林業を支えた産業遺産ともいうべき森林鉄道。
今でも木曽の山奥を縫うように走った面影が残り、また保存もされています。
豪雨被害などを乗り越えて先日運転を再開した赤沢森林鉄道は、マニアだけでなく家族連れでも、アトラクションとして楽しめると思います。
最近は密かに北海道の簡易軌道をはじめとして、日本の産業を支えたかつての鉄道が注目を集めています。
整備や保存には手間もお金もかかりますが、このような小さな鉄道の痕跡が、改めて文化的な価値の高いものとして日の目を見るのかもしれません。
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